JA奈良県ハウス柿部会
部会長 辰谷 健治
奈良県のハウス柿は現在生産量国内シェア8割以上を占めております。7月~9月上旬にお店に並んでいる柿はほとんどが私達JAならけんハウス柿部会28名が生産したハウス柿です。奈良県中西部の五條市と下市町で温室ハウスの中で栽培されるハウス柿はとっても甘くてジューシーな高級果物です。北海道から九州まで全国の市場に出荷されていますので、身近にお手にすることができます。ぜひご賞味していただきたいと思います。
私達は美味しいハウス柿を自信をもって栽培し、出荷しておりますのでその味にきっと満足していただけると思います。1人でも多くの方に食べていただきたいです!
果物は、天候の影響から価格変動や味が毎年違うなどの問題をとても受けやすく、日本人の果実消費量は減少し続けています。そこで私達は、天候の影響を受けにくく、いつでもおいしい柿を提供できるようにと、ハウス柿の栽培を始めました。品質の良い柿を、いつでも魅力的な商品として皆様へ届けるのが我々の使命だと思っております。ハウス柿を育てる方、そして実際に食べる人、販売する人、そのすべてに関わる人が笑顔になれることを私達は目標としています。
称号 | JAならけんハウス柿部会 |
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設立 | 平成2年 2月 |
所在地 | 〒638-0663 |
資本金 | なし |
代表者 | 辰谷健治 |
従業員数 | 部会員数28名/従業員数45名(パート・アルバイト含む) |
売上高 | 3億6000万円(平成28年度実績) |
事業内容 | ハウス柿の生産から選果・出荷まで |
主な取引先 |
全国主要都市28社 |
創業28年、ハウス柿の歴史をご紹介します
昭和50年 |
福岡・香川・和歌山・愛知などの各県で、柿のハウス栽培が開始される。 |
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昭和57年 |
西吉野村の太津隆司が、初めて渋柿の刀根早生を用いて栽培した。 ※刀根早生とは、平核無柿の枝変わりで、普通の平核無柿より10~15日ほど早く実をつけ、9月半ばから10月半ばにかけて収穫できる早生の優良品種である。 創設者 太津隆司 |
昭和61年 |
11人の生産農家からなる農業組合法人「赤松ハウス柿生産組合」の生産が開始 |
昭和62年 |
「西吉野ハウス柿部会」が発足。共選共販体制ができた。 当時 西村早生の柿が着色などの外観が優れていたため、刀根早生の柿はあまり売れなかった。 そこで、もともと渋柿を好む北海道で販路の開拓を開始した。 「西吉野ハウス柿部会」メンバー |
平成1年 |
固形アルコール脱渋を開始。 99.9%の固形アルコールの入った袋を木になっているひとつひとつの実に取り付け、渋みをぬいていく方法です。 温度保持脱渋の様子 |
平成2年 |
市町村や農協の枠を超えて、県下で一本化したハウス柿部会が設立された。 発足当時は、「奈良県果実農業協同組合連合会ハウス柿部会」として、御所市・五條市・下市町・西吉野村の4農協からハウス柿生産者28名が終結した。 |
平成3年 |
アルコール・ガスを併用した脱渋の方法を始める。 創設者の太津隆司がハウス柿部会の初代部会長に就任する。 |
平成8年 |
農事組合法人「西吉野オーチャド」(組合員18名・新規ハウス柿参入者12名)を新たに発足。 |
平成10年 |
本県を直撃した台風7号の影響により、ハウス倒壊が多数起こり、莫大な被害を受けたが、驚異的な回復力を発揮し、ハウスや部会費をほとんど減らすことなく原状復帰に成功。 |
平成11年 |
奈良県果実農業協同組合ハウス柿部会となる 部会数41名・ハウス面積15.8haまで拡大 |
平成15年 |
二代目部会長として、中西一夫が就任する。 二代目 中西一夫 |
平成17年 |
ポリ袋を用いた温度保持脱渋を開始する。 |
平成21年 |
三代目部会長として、上西正晃が就任する。 三代目 上西正晃 |
平成27年 |
四代目部会長として、辰己清が就任する。 四代目 辰己清 |
平成31年 |
五代目部会長として、堀嘉仁が就任する。 五代目 堀嘉仁 |
令和3年 |
六代目部会長として、山本義之が就任する。 六代目 山本 義之 |
令和5年 |
七代目部会長として、辰谷健治が就任する。 七代目 辰谷健治 |